大変貴重な経験をさせていただきました。
私の母校である福島県の学法石川高校の野球部は甲子園に出場するまで毎年あと一歩のところで逃すといったことが続き、ますます石川町は野球熱が高くなっていきました。プロ野球よりも学法石川高校の大ファンの私も公式戦の結果に一喜一憂していました。母校が初めて甲子園出場を決めたのは私が高校1年生の秋季大会のことでした。敗者復活から勝ち続け福島大会を制してあれよあれよで東北大会をも制して見事春の甲子園出場を果たしたのでした。その時の感激は今でも忘れません。
漫画家を目指していた私の描く作品は必ず野球マンガで、デビューするまでの3作目が「緑山高校」でした。デビューしてからもほとんど打ち合わせすることなく担当さんは自由に描かせてくれましたが、担当さんが広島出身ということもあり甲子園大会の緒戦の相手は広島県の代表校という設定になりました。
「緑山高校」という作品は試合展開を追う作品ではなくキャラクターの目立とうというぶつかり合いの挙句結果的に気がついたら勝ってしまっていたという話です。アニメ化のお話をいただき制作スタッフの一人としてアフレコ(オーデションも含め)やアニメ制作の過程にかかわれたのは大変貴重な経験をさせていただきました。
■プロフィール
1984年2月 [週刊ヤングジャンプ]誌にて「緑山高校」でデビュー。
主な作品に「ベリーグット満天」( [少年サンデー] 連載)、「大作と工作」([ヤングサンデー] 連載)、「占い刑事」( [ビジネスジャンプ] 連載)等、多数。近著は、「マンガ風水師黒門」(日本スポーツ出版社)。
現在はスポーツもの以外に執筆の幅を広げ[占いモノ]も多く執筆している。
子供のころ「巨人の星」にどっぷり浸かって育ったので、TVアニメの仕事に関わるようになった時、いつかは野球アニメに参加したいと思っていました。しかしヒットする要因が無ければなかなかアニメは作られず、「緑山高校甲子園編」が企画された16年前も、けして野球アニメに追い風は吹いていませんでした。日本の国技は相撲といわれています。野球も立派な国技だと思ってはいるのですが、恋愛などが介在しないスポーツ物アニメの旗色は悪い感じでした。それにビデオ作品ですし…。
原作漫画がいかに人気があっても、油断することのできないスポーツ物を成功させるためには、漫画の魅力ポイントを果てしなく追求するしかないと考え、緑山においては迫力ある画風の映像化に集中することにいたしました。
「きれいな線を描くように」と育てられたアニメーターにとって「汚い線でもいいから、迫力あるタッチをひたすら描き込め」という指示は理不尽だったと思いますが、その時のアニメーターの努力が今見てもけして古さを感じさせない映像を作りあげていると確信しております。
漫画には無くアニメの強みといえば音楽や声という音響効果もなのですが、特に二階堂、花岡、犬島の三人のはじけっぷりも聞き応えたっぷりです。二階堂を担当していただいた千葉繁さんの原作のセリフを越えようとするギャグセリフへのこだわりは凄まじく、アフレコでテスト、本番と同じセリフを使わずに毎回共演者を笑わすことに徹する姿勢は、生きたアニメの作り方を教わったように思います。アフレコの時に完成した状態で映像を用意できなかったにもかかわらず、アドリブのセリフでの掛け合いでも大いに盛り上げていただいた声優の皆さんには感謝しております。
■プロフィール
東京造形大学映像専攻科卒業。
TVアニメ「ドラえもん」(絵コンテ)のデビュー。以後、「フクちゃん』「装甲騎兵ボトムズ」等の絵コンテ。
「機甲界ガリアン」「機甲界ガリアンpartIII 鉄の紋章」「キャッツ・アイ」「ハイスクール!奇面組」「ヤダモン」「ミスター味っ子」「ツヨシしっかりしなさい」では絵コンテと演出を担当。
監督デビューは、TVアニメ「鎧伝サムライトルーパー」。主な監督作に「鎧伝サムライトルーパー メッセージ」「覇王大系リューナイト アデューレジェンド」「新機動戦記ガンダムW」「犬夜叉」「CLUSTER EDGE」、OVAでは「緑山高校甲子園編」「緑山高校甲子園編劇場版」「ヴァンパイア・ハンター」等がある。
※「この他のスタッフコメントはDVD-BOXのブックレットに記載されています」
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